天主堂 観光

天主堂を観光!!
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☆天主堂☆



鎖国時代の長崎は、異国文化で華やいでいるイメージがあります。
ですが、その裏には悲しいキリシタン弾圧という歴史もあります。

そんなキリシタンの信仰の象徴ともいえる天主堂を紹介します。


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☆浦上天主堂☆ 


浦上天主堂は大正14年(1925年)に
キリシタン弾圧に耐えて、信仰の自由を得た
信者たちが建てた教会です。

それまでのキリシタンに対して約230年にも及ぶ
弾圧があったにもかかわらず、
それを乗り越えた信者たちの
信仰を貫き通したというシンボルとも言えます。

第二次世界大戦時の原爆によって建物は全壊しましたが、
昭和34年(1959年)に再建。
昭和55年にはローマ法王を迎えるにあたって、
赤煉瓦作りの美しい天主堂として蘇りました。

大聖堂の中には綺麗な24枚のステンドグラスが
配置されています。

天主堂付近には、原爆時に崩壊した天主堂の鐘楼の
一部や原爆の熱で真っ黒く焦げた天使の像などもあります。


浦上天主堂


26聖人殉教の地
☆26聖人殉教の地☆ 

豊臣秀吉のキリシタン禁教令により、
京都や大阪で 捕らえられた外国人宣教師6人と
日本人信徒20人が処刑された二十六聖人殉教地。

外国人宣教師6人と日本人信徒20人の中には、
幼い12歳の子供も入っていたようです。

信仰を貫き通した彼らは世界的に有名となり、
文久2年(1862年)ローマ法王ピオ9世より、
聖人の名を授かることとなりました。

その約100年後、1950年にピオ12世は
カトリック教徒の公式巡礼地として指定しました。

では、なぜ彼らは西坂の地を選んだのでしょう?・・・

それは、キリストが十字架にかけられた
ゴルゴタの地に似ており、信者たち自らが処刑の地に
望んだといわれています。

1962年には26人が並び祈りを捧げる
ブロンズ記念碑と記念聖堂、そしてレリーフ裏手には
キリシタン資料を展示する
日本26聖人記念館が建てられました。

毎年2月5日の殉教祭には多くのキリスト教信者が集まり、
西坂の地で賛美歌を歌い祈りをささげています。
☆大浦天主堂☆      

元治元年(1864年)26聖人が、聖人の名を授かった
2年後にプチジャン神父によって
建造された現存する日本最古の木造教会です。

ゴシック様式の教会で中央祭壇とステンドグラスは
とても見ごたえがあります。

当時の長崎の人は、フランス寺と呼んでいました。

大浦天主堂の建立された理由は、
殉教した26聖人に対しての祈りが込められたおり、
西坂の丘の方角を向いて
建てられています。

大浦天主堂は1933年に洋風建築物にもかかわらず、
国宝に指定されています。

日本では洋風建築物の国宝指定は唯一、
大浦天主堂だけだそうです。


大浦天主堂
☆カトリック中町教会☆

明治30年(1897年)に日本人である聖トマス西と15人の殉教者のために建てられた教会です。
第二次世界大戦時の原爆投下で建物はほぼ消失しましたが、
被害を免れた尖塔と外壁を生かして建物を昭和26年に再建し、
現在では長崎市指定の被爆遺構にもなっています。
最近では、平成16年4月に、スペインのザビエル城にある、『ほほえみの十字架』の複製を奉納しました。
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