長崎市内 観光

長崎市内を観光!!
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☆長崎市内の観光☆



長崎はたくさんの観光施設があります。

それは、鎖国時代の唯一の貿易港として、阿蘭陀、ポルトガル、中国などの
たくさんの文化が入ってきたこと、
そして、戦争時代の原爆被爆地としての、たくさんの悲しい歴史があるからです。

ここでは、たくさんある施設の一部ですが、紹介します。


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☆出島☆


長崎港の開港は元亀元年(1570年)。そしてその翌年に
ポルトガル船が初めて入港し、長崎港が誕生しました。

そのころはまだ扇形をした出島ではなく
寛永11年(1634年)以前よりポルトガル人と交易し、
富を築いてきた町人25人の
共同出資金によってその建造は始まりました。

出島を作った理由は、長崎の町中にいた
ポルトガル人を移住させ、キリスト教の布教を
困難とさせることでした。

その3年後、出島においてポルトガル人は完全追放となり、
出島は一時の間ですが、無人の島となります。

その為、莫大な建造費の負担に加え、
輸入品の取引も絶たれた25人の出島町人は
幕府に抗議しました。

当時、平戸にあったオランダ商館を
長崎に取り込みたいという考えもあり、
オランダ商館を構えた貿易地として
再スタートを切りました。

そして安政の開国までの218年間、オランダ商館として
日本国唯一の海外貿易が行われることとなりました。

出島には、生糸や毛織物、薬品、ガラス製品、
コーヒーやジャガイモ、はたまたラクダやゾウなど
動物も入ってきていたそうです。


出島を復刻したミニ出島
☆原爆落下中心地☆     
 
世界で広島に続く2番目の爆心地の長崎。
世界恒久平和の実現を願うきっかけともなったのがここ原爆中心地です。

昭和20年8月9日11時2分、米国マリアナ基地から飛来したB29によって原爆が落とされ、
この地の上空500mの所で原子爆弾が炸裂しました。

15万人もの死傷者を出し、50年間は1本の草も生えないと言われていたこの地も現在では
記念碑が建ち、春になると満開の桜がみられます。


平和記念像
☆平和公園☆ 

原爆落下中心地の北側にある平和公園は
恒久の世界平和を願って作られた緑あふれる公園です。

原爆犠牲者の慰霊の願いをこめて、
被爆10周年にあたる昭和30年8月9日に
平和記念像が完成しました。

まさに平和の象徴に相応しく、
高さ 9.7m・重さ30トンもの
青銅製の記念像が建っています。

そしてそのポーズにも意味があり、
天を指す右手は原爆の脅威を、
水平に伸ばした左手は平和を表し、
軽く閉じた目は犠牲者の冥福を祈っています。

現在では、世界各国から贈られた平和のモニュメントも
多数建ちならび、世界恒久平和を願う長崎市の
シンボルゾーンとなっています。 
☆原爆資料館☆   

平和公園からさほど離れていない場所に長崎原爆資料館があります。
原爆の悲惨さを後世へ伝える大切な資料館です。

昭和20年8月9日、広島に続き長崎にも原子爆弾が投下され、死傷者約15万人を越す程の大惨事となりました。
救護活動もできず、さらに放射能障害に対する治療法もなく、その後も死者の数は増加していきました。

長崎原爆資料館は 原爆投下直後の長崎の街の惨状を再現し、原爆による被害の実相を伝え、
核兵器のない世界をめざして、多くの資料が展示されています。原爆が投下されるまでの経過や核兵器開発の歴史、
平和希求などの紹介・説明がされています
☆孔子廟☆   

論語でお馴染みの孔子を祭った、
明治26年に時の清朝政府が建てた海外唯一の廟であり、
現建物はすさんだ孔子廟を、昭和42年在日華僑が
再建したものです。

中国華南と華北の建築様式が合体した見事な廟宇を持つ
現在の建物が完成しました。

これぞ中国風な建物といった感じで、壮麗、艶やかさ共に、
この壮大さには圧倒されます。

中国政府の援助もあり、
併設する中国歴代博物館には北京故宮博物院と
中国歴史博物館所蔵の国宝文物が展示されています。


孔子廟


めがね橋
☆めがね橋☆           

わが国最古の石造りアーチ橋で、
寛永11年(1634年)に近くの興福寺住職である
黙子如定禅師によりかけられました。
幅は3.65m長さ22mあります。

名前の由来は、実物と水面に映ったすがたが、
めがねのように見えたことから
『めがね橋』と愛称されています。

めがね橋は正保4年(1647年)、
昭和57年(1982年)の度々の洪水により
一部損壊しましたが、その都度復元されています。

めがね橋は、中島川に架かる10余もの石橋群の
中の10番目の橋になります。

昔の中島川は、陸揚げされ商いを行うために
とても重要な河川でした。


わが国最初のアーチ式の石橋で使用されている
石の数は約830個程といわれています。

そんなめがね橋は、
現在では国の重要文化財に指定され、
長崎を代表する観光名所となっています。
☆稲佐山☆

長崎は、函館、神戸と並び日本三大夜景と称されています。
函館で夜景の定番といえば函館山、神戸なら六甲山。
そして長崎で定番といえば、稲佐山の展望台が有名です。

長崎の夜景は、『1000万$の夜景』と言われています。

その特徴は、稲佐山、鍋冠山、風頭山、立山と4つの
山々に囲まれた地形ゆえに、
山の上まで住宅が建っている為、夜になると
住宅の光が山肌を埋め尽くす立体的な美しさです。

標高333mの稲佐山では、展望台やレストラン、
グッズショップがあり、頂上までのロープウェイで
登ることができます。


稲佐山


長崎新地中華街

☆中華街☆

横浜、神戸と並び日本3大中華街の一つである
長崎新地中華街。

その誕生は江戸時代である元禄15年(1702年)。

中国からの荷物を火災や盗難から守るために
唐人屋敷前の海面3500坪を埋め立てて
新地蔵所を建設し、その跡地に残留中国人が移住して
現在の新地中華街となりました。

『新地』という呼び名は新しく築地によってできた場所
という意味です。

唐人屋敷とは中国人が住む場所として
長崎奉行所の支配下に置かれた居留地のことをいいます。

長崎の在住中国人は皆この唐人屋敷に住まいを構え、
その数は1万人にもなるといわれています。

しかし、明治維新によって唐人屋敷は廃止され、
現在の新地中華街(旧新地蔵所)に移り住むことになり、
中華人街が作られたんです。

現在の長崎中華街は、唐人屋敷こそないが、
赤レンガ造りの土神堂、観音堂、福建会館、天后堂、
が残りムード満点の町です。

また長崎と姉妹都市である福建省の協力を得て、
本格的な中華門や石畳の復元など文化的にも
意義がある町として存在しています。
☆丸山遊郭☆          

『丸山』とは、江戸時代に鎖国対策をとっていた幕府が、
1642年(寛永19年)、市内に散在していた遊郭を一箇所に集めた場所をいいます。

最も栄えたときには、遊女1400人を越し、妓楼100軒を数えるほどといわれています。

日本の三大遊郭として、江戸の吉原や、京の島原と共に広く知られており、
文化人墨客や幕末の志士たちに縁の深い料亭など、当時の面影を残した古い建物が点在する
ノスタルジックな通りです。

創業1642年(寛永19年)といわれる『花月(かげつ)』は最も古い妓楼引田屋の庭にあった茶屋で、
坂本竜馬、勝海舟、高杉晋作、などの多くの著名人が遊んだところでもあります。

現在では、県の史跡にも指定されている『花月』は、料亭として、今も尚、営業し続けています。


遊郭というと、遊女に一夜妻といった印象がありますが、この丸山遊郭にはそういった
悲壮感があまり感じられません。

遊女の中には「唐人行」「阿蘭陀行」「日本行」などがあり、それぞれの遊女に一夜妻といった印象はありません。

身の回りの一切を任される者、妊娠して相手の申し出があるとそれを出産・養育する者。
など、当時の話をたどっていくと華やかさすら感じるところです。

☆シーボルト邸跡・記念館☆ 

1823年 (文政6年)東インド会社の商館医として来日したシーボルトが、
鳴滝塾(医学塾)を開いた場所です。
ここから多くの西洋医学生が生まれました。

西洋人としてはシーボルトは特別扱いで、ここに日本人名義で土地と家を購入し、
週1回ほど、出島のオランダ屋敷からここに出向くことを許され、病人を診療したり、
学生たちに西洋医学の講義を行ないました。

高野長英ら日本の有名な医師たちの多くはここから巣立っています。
また、シーボルトは「日本の植物」「日本の動物」などの著書を残していますが、
その研究の殆どがこの門人たちの提出した論文によるものと言われています。

隣接するシーボルト記念館は赤レンガ風タイル張りの建物です。長崎市が
日本の近代化に貢献し同市にゆかりの深いシーボルトを顕彰するために、本館を建設しました。

オランダにあるシーボルト旧邸をイメージしたもので シーボルトにちなんだ品や資料が展示されています。

☆ペンギン水族館☆

キングペンギンやマゼランペンギンなど7種130羽のペンギンが愛嬌をふりまいています。
キングペンギンのパレードがあり、土・日・祝日行われています。(12月〜5月)

そのほかにも、エサやり体験やペンギンタッチングなどペンギンと身近にふれあえるイベントが多数あります。

土曜・日曜・祝祭日のみ、バックセードツアーがあり、普段見ることができない水族館の
裏側を見ることもできます。

ペンギン以外にもカヌー体験ができたり、小川などに生息する動植物を観察できたり、自然を満喫できます。

☆長崎歴史文化博物館☆

それまで長崎市立博物館、旧県立美術博物館、県立長崎図書館の3館それぞれで展示されていた
資料を一ヶ所にまとめて展示できる建物です。

江戸時代の長崎奉行所立山役所を復元し、奉行所の仕事なども紹介しています。
☆長崎県美術館☆

2005年に開館した運河沿いにあるめずらし美術館です。
『スペイン美術』や『長崎にゆかりの深い美術』などその数、約3700点もあります。

そして、世界三大美術館の一つ『スペイン国立プラド美術館』と交流関係にあるます。

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